こんにちは🌟

最近の私は、上の娘とどうもうまく関われなくて、
娘のほうも自我と母親との境界線において、
あるときは太く、ある時は限りなく細くなってと揺れ動いている時期なのかなと感じました。

甘えたい気持ちと、もう自分を保ちたいから母親の言う通りにしたくない気持ちが入り混じっていて、

私のほうも目に入れても痛くないくらいの時期の延長線上で可愛がっていたい気持ちと、自分のことを自分で面倒見られるようになってほしい気持ちと入り混じっていて、

特にこのごろ、自分のコンディションが悪かったりすると、しばし今まで感じなかったような気持ちになって、頭に血がのぼってしまう時がありました。

自分のホルモンバランスなのか、生物的に子離れが始まっているのか、よく分からなくてこのまま子どもにどんどん辛く当たるようになってしまったらどうしようかと心配になりました。

そんな今朝、仕事前にひとりでバランスボールで背中を伸ばしながら逆さまの世界をみながら何度も読んだ本を読んでいたら、

親は子どもの親だが、子どもは親だけの子どもではなくて、天からの授かり物、預かり物であると書いてあって、そういえばそうなんだったと思い出しました。

育児はその人が生まれる20年前から始まるし、ネイティブアメリカンは7代先の子孫のことを考えて育児をするし、今の自分があるのも7代にわたる先祖の育児の集積だと。

自分のことでいっぱいいっぱいになって、目先のことであれこれ悩んだが故に、子どもを大きな愛で包み込めていない私の器不足だと気付かされました。

そして助産院に来て下さっているお母さん、赤ちゃんたちに対してただ、そこに居るだけで尊くて大切で素晴らしい存在だなと感じて、自分たちもそうだったと思い出して今日も仕事のおかげで気持ちが切り替わりました。

まだまだ母の修行は続きますが、かぐや姫を預かった気持ちで、大切に育てようと改めて誓いました。

写真は子どもが平和堂の短冊に書いたお願いです。

きれいなほしを見れますように

なんて、無垢なお願いなんでしょう。。

育児は挑戦のようだと思うこともありますが、日々育てさせてもらえることに感謝をしながら関りたいもので、自分も器を拡げられるよう努力して成長しないといけないなと思いました。